2019年2月25日月曜日

Sailing Ships

Whitesnake [ D.Coverdale / A.Vandenberg ]

Whitesnake1989年のアルバム『Slip Of The Tongue』のラスト・ナンバーだ。アコースティックがメインの曲で、後半はうってかわり、強烈に盛り上がる壮大なアレンジの曲。作曲はほとんどエイドリアン・ヴァンデンバーグだが、後半は完全にスティーヴ・ヴァイ・ワールドとなる。そして詞は完全にデイヴィッド・カヴァデイルの世界と、なかなか興味深い。エイドリアンが作曲し、デモを制作後に腕を故障しギターが弾けなくなってしまい、代役としてヴァイが登場するという複雑な背景を持つ当アルバムの中でも、最もそれが顕著な1曲となった。

ちなみにエイドリアンがギターを弾いたバージョンとして、97年のライブ『Starkers In Tokyo』やVandenberg's Moonkingsでのものがあるが、どちらも同じアレンジで、後半の強烈になるパートの前で曲が終わっている。このことからも、後半の盛り上がる部分はヴァイのものだということが分かる。

イントロや最初のメロディでのコード進行は同じで、「Am/GonB」「C/F」「G/FE」「Am」というもの。親指でベース音を弾き、それ以外でトップの音のメロディとアルペジオっぽい弾き方で、エイドリアンの得意パターン。シンプルなコード進行もエイドリアンっぽいし、特に最後の「Am」の部分は「Burning Heart」と似た組み立て(Am7の2弦と4弦をスライドさせるギターの運指はほぼ同じ)のフレーズがあって、エイドリアン不在のアルバム中に彼の存在が垣間見えて少し嬉しくなった記憶がある。
この最初のパートで印象的なのは、2小節目「F」の部分の一番最後、2弦の3Fから5Fにスライドさせるところ。結構目立つが、音を残すアルペジオ奏法の中なので、必然的に小指で押さえることになり意外に難しい。

次のパートは「Dm/B♭onD」「ConD/F」「B♭onD/Csus4」「G」となる。恐らくエイドリアンは「onD」ではなく、普通に弾いているはずだし、ローコードのポジションがメインで弾いているはずだ。「F」は5弦→1弦の順に「8F 7F 5F 6F 5F」と押さえる。

この2つのパートを何回か繰り返し、また、ヴァイがムードのあるギターを重ねている。このギターのオカズもとてもヴァイ的だが、曲を壊すようなものではないので良しとしよう。

そしてサビ。このサビのギターが美しい。コードは「Em/G A」を4回繰り返し、「Am/C D」「Am/C D」「C/D」「Am」となる。
直前のBパートが「G」で終わって音を伸ばしている中で、ぎたーの低い音で「ソファ#」とつなぎ、すぐにこのパートに入る。エイドリアンはそのまま弾いているようだが、ヴァイの味付けが素晴らしく、このパートだけはエイドリアンのプレイよりも美しくカッコいい。

まず「Em」を「Emadd9」で弾いていて、「G」は普通だが、「A」の時に「G」と同じパターンと思わせて、4音のうちの後半2音をわざとに高い音で弾いている。これが効果的で印象に残る。具体的には、6弦5F、5弦4Fのあと、3弦開放、2弦開放を弾き、しかもこの音をずっと残して強調する。
「Am/C D」の部分もちょっとした工夫があり、「Am」は「Amadd9」に、「C」はそのままだが、「D」は先程の「A」と似ていて、5弦5F、4弦4F、3弦開放、1弦開放で、この音が効いている。
「C/D」の部分の「C」はルートの5弦3Fを弾いた後、4、3、2弦5Fのハーモニクス(つまり「GonC」のような音になる)、「D」はルートの5弦5Fの後、4、3、2弦7Fのハーモニクスで変化をつけ、最後は「Amadd9」をジャラーンと鳴らす。

まあ、ハーモニクスの小細工はともかく、「Em/G A」の部分のバイのアイディアは最高だと思う。
この後のソロも繊細な音でなかなか素晴らしい。ヴァイのソロというとテクニカルで速弾きで狂気じみているものを連想しやすいが、こういう優しくメロディックなものも実は結構多い。

後半の盛り上がりパートはヴァイの独断場だ。速弾きのオンパレードでハーモニー・パートも多い(それも少し変わったヴァイっぽい5度のハーモニーとか)し、転調もするし、ヴァイに乗せられてかカヴァデイルもガンガンいき、限界ギリギリのハイ・トーンを披露。前半の雰囲気は完全に消し飛び、そして最後はセイリング・シップが空を飛んでしまう。カヴァデイルのハイ・トーン1音ポルタメントとヴァイのハーモニクスのアーム・ダウン音、疲労困憊で曲もアルバムも幕を閉じる。

聴き終わった際はエイドリアンらしさは忘れてヴァイ・ワールドとそれに対抗しようと頑張るカヴァデイルが印象に残るという残念な感じになる。となると、エイドリアンが再録で後半を採用しなかったのも当然となるだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿